『無』の世界『0=∞=1』~新技術nTechを活用したLife Styleの提案~

『無』の世界『0=∞=1』を、nTech(認識技術)を使って活用応用した生き方やnTech(認識技術)とは何かをわかりやすくご紹介します。

プロフィール紹介 其の1 心とは何か?・生きる意味価値とは?

ご訪問ありがとうございます。

 

『無』を活用した宇宙一美しい奇跡の数式『0=∞=1』を認識技術として

活用応用した尊厳ある生き方や認識技術とは何かをわかりやすくご紹介するblogです。

 

その著者である私の紹介をさせていただきたいと思います。

※長いのでお時間がある時にぜひ読んでください。

※自己紹介は3回に分かれています。

 

 

①『心とは何か』に疑問を持つようになった幼少時代

私が幼い頃から、うちの両親は家では人の悪口を言っているのに、

その相手と会うと笑顔で会話をするので、

どちらが本当の親の本音なのか分からないと思うことがよくありました。


だから、小さい頃から『人の心を知りたい』と思うようになりました。

 

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この疑問が、

私の人生を大きく変化させていくひとつのきっかけにもなりました。

 

そして、小学校に入り、周りの友達も親と同じように、

裏では悪口を言って、表では笑顔で会話をするので、

どちらが本音なのか分からず、友達も信じられなくなっていきました。


そして、さらに追い打ちをかけた出来事は、

ある日突然、理由もわからず、虐めに会うことが小学校の時に3回ありました。

 

一番最初の虐めは、

小学校に上がる前から、近所の女の子グループでよく一緒に遊んでいました。

そして、そのグループは当時6年生のリーダーの子を中心のグループでした。

ある日突然、昨日まであんなに仲良く遊んでいたグループの子たちから、

いきなり無視をされ始めました。

 

「あれ?おかしいな?」「私、何かしたのかな?」

 

自分がその子たちに何か悪いことをした記憶が、

 

いくら考えても全く分からず、すごく悲しいし、

近所に遊ぶ友達が居なくなってしまったので、寂しいし、

放課後、どうしてよいか分からず途方に暮れる日々を過ごしました。

 

もし、何か自分が悪いことをしたのなら、謝って許してもらいたくて、

グループの1人の子に理由を聞きくために話しかけても、

一切、口を聞いてくれることはありませんでした。

それが、高学年に上がるまで4年間ぐらいずっと続きました。

 

結局、その子たちと仲良くなるのは無理だと諦めて、

クラスの子たちと放課後は遊ぶようになりました。

 

その後、2度の虐めを経験する中で、

相手が一体何を考えているのか、

本当に人の心が分からないと思うようになりました。

 

『人の心が分かったら、こんなに苦しまなくて済むのに。。。』

『どうやったら人の心が分かるようになるんだろう??』

そんなことを日々考える子供時代を過ごす中、


いつしか、常にコロコロと心が変わってしまう人間に対して、

嫌悪感を感じるのと同時に人間不信になっていきました。

 

そして、自分が傷つきたくないので、

『人に二度と心を開くもんか!』と心に決めて、

人に対して一線を引くようになっていきました。


それからは、常に自分と会わない人は

・縁を切っていくか、

・環境を変えるか、

・一人でいる選択をしていきました。

 

だから、ずっと私の心は孤独感を感じていました。


だけど、孤独感を感じたくないし、一人でいるのは寂しくて、つまらないし、

嫌だから、その時だけ楽しめる友達をつくればいいやと思うようになりました。

 

そして、高校生の頃には、人に心を開かない決断したことも、

心を知りたいと思う事もすっかり忘れて、

人を信頼している自分だと思い込むようになっていました。

 

その当時の私は、人間関係に何の問題もないし、

むしろ、私は友達をとても信頼していると思い込んで、

「とにかく今が楽しければいい」って思って生きていました。

 

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②心の追及をした社会人時代

そんな幼少時代から社会人になり、広告写真の仕事場で働くようになりました。

 

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ある時、アラーキーという写真家が

「私は心を映す写心家」

という一言にとても感銘を受け、

私も『心を映す写心家』になりたいと思うようになりました。


そして、「人の心が撮れる写真はどうすれば撮れるようになるのか」

という事を追及し始めました。

 

その中で大きく気づいた事が、

 

『自分の心の状態で撮る結果が変わる』ということに気づき、

その当時の私は、凄いことを発見した!という喜びでいっぱいでした。

 

そして、更に追及していくのが楽しくなっていきました。


ある時、雑誌の表紙撮影をしいる人に、

私の写真を見てもらった時に、言われた一言にとてもショックを受けました。

 

「人の心を映す写真を撮りたいなら、あなたの心がオープンにならないと無理だよ」

 

その言葉を言われた時は、ショックすぎて、

もう自分には無理なことをやろうとしているんじゃないか?

そう思うぐらい心が折れそうでした。

 

だけど、気を持ち直して、

単純に人に対して心をオープンにすればいいんだ!と思い直すことで、

夢に向かって一歩前進したような気持ちもあり、

きつかったけど、良い出会いをもらったと思いました。

 

その出来事がその後、

私が無意識に人に心を開いてなかったことに気づくきっかけになりました。

 

なぜなら、心をオープンにしよう!と思っても、出来ないんです。

 

知らない人に「写真を撮らせてください」とお願いしたら、

もしかして、断られるんじゃないか?とマイナス的な考えばかりが浮かび、

同じ場所で1時間、2時間も声をかけるのに躊躇することも多々あり、

やっと恐る恐る声をかけたり、時には、声すらかけられず諦めて帰ったり。

そんな日は、本当に、できない自分に対して、

「何で私はこんなことすらできないんだろう?」と、自己否定するばかりでした。

 

そして、人を撮れたとしても、心を相手に開けないので、

当然、相手との心の距離感が埋まることもありませんし、

相手の良さを引き出す写真なんて、到底無理でした。

 

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そんな自分を確認するたびに、

自分がどれだけ心がクローズなのかを感じ、

心をオープンにしようと思えば、思うほど、

心がクローズな自分に出会えば、出会うほど、

自分がどんなに努力しても、頑張っても心をオープンにすることができず、

 

「あぁ、やっぱり私には無理なのかも。。。」

「一生かかっても、撮れないものを求めているのかな?」

 

そう思うと、更にマイナス思考が増大していき、

「本当に私は写真を撮りたいんだろうか?」

「本当は何をしたいんだろう?」

「このままで終わりたくないけど、もうどうしていいか分からない」

そんな、絶望と挫折感、諦め、限界を味わう日々でした。

 

③生きる意味価値が分からない

私が今まで生きてきた中で、もう1つの疑問があります。
 
それは、
『自分は何のために生きているのか?』
『生きる意味価値を知りたい』
 

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この疑問を持ったキッカケは、
 
私は人生の中で、3回交通事故に遭っています。
そして、3度目の23歳の時に、命が助かるか分からないぐらい重症になる
大きな交通事故に遭いました。
しかし、運良く何とか一命をとりとめる事ができました。
 
事故にあってから仕事に復帰する迄、約1年半ぐらいかかりましたが、
その間とにかく時間だけはあったので、色んな事を考えました。
 
その中で、私が思ったのは、
私が小学生低学年の頃、交通事故で、何年も入院をしていた同級生がいました。
その子は、最終的には約5年間、退院する事もなく息を引き取りました。
 
たった1度の交通事故でも、その後の人生をつなぐことが出来ない人も居れば、
私の様に3度も交通事故に遭っているのに、まだ生きている事を通して、
 
『何で自分は生きているんだろう?』
 
という、
 
『自分が生きる意味、価値を知りたい』
 
この疑問を考える様になりました。
 
だけど、いくら考えても、本を読んでも答えが出ることもなく、
友達に話しても答えが返ってくることはありませんでした。
 
身体もそのうち治って来たので、仕事に復帰した頃には、
頭の片隅にその疑問は、いつもありましたが、
 
「いつか、その答えがやってくるかもしれないし、来ないかもしれないかも。。。」
「でも、知りたい。。。」
 
そう思いながら生きていました。

 

そんな私が、認識技術との出会いを通してどのように変化したのか?

次回はその話を書きたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。