ヌリ路@京都 京都は、すごい場所だった!①
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『無』を活用した宇宙一美しい奇跡の数式『0=∞=1』をnTech(認識技術)として活用応用した尊厳ある生き方やnTech(認識技術)とは何かをわかりやすくご紹介するblogです。
今日は、先週末に撮影スタッフとして参加した、
「新・教育観光 ヌリ路@京都」に行ってきました(*´▽`*)
①新・教育観光 ヌリ路とは
旅行にも大きく分けるとふた通りあるかと思います。
・買い物を楽しむ旅行
・観光を楽しむ旅行
私は、昔から色んな所に旅行に行くのが好きだったので、
大体その土地の色んなものや人や文化との出会いを楽しむ、
観光旅行に行く方が好きです(^^)♪
そして、歴史も好きなこともあり、
このヌリ路は、ただ観光を楽しむだけでなく、
その土地の歴史を通して、
地域との出会い方や観方が大きく変わる出会いができるので、
その場を楽しむ現象的な出会いではない、
今までと違った出会いが楽しめる観光になるので、
本当に面白いです(*´▽`*)♪
京都だけでなく、西は福岡、萩、大阪、京都、
東は、横浜、東京、北海道、
そして、日本だけでなく、海外の歴史とも出会うことで、
本当に、日本の中だけ、日本の自分が住んでいる地域でも、
知ることが無かった、意外な歴史と出会える場です^^
今回は、いつも以上に少人数だったので、
とてもアットホームな雰囲気で開催しました。
その分、かなり濃度の濃い、ガイドでした^^
②京都のイメージ
そして、今回の場所は京都でした。
京都のイメージというと、私の場合は、
・古き良き伝統を守る
・街のイメージもブランディングされている
・洗礼されたイメージ
・「一言さんお断り」的なちょっと閉鎖的なイメージ
があります。
そんな京都ですが、
実は、一大改革を成し遂げ、
現在の産業社会の土木建築の礎を築いた
基になった場所が、今回の観光の地
「琵琶湖疎水」です。
保守的だと思っていた京都のイメージが、
この「琵琶湖疎水」事業との出会いを通して、
大きく一新しました。
③京都の変化のきっかけ
昔は御所があり、日本の中心だった京都でしたが、
明治に入り、日本の中心が京都から東京に変わったことで、
一気に京都の街が下火になり、
人も減り、商業の中心も移動され
危機的状況になりました。
その危機的状況を打破するべく立ち上がったのが、
当時、京都府知事の北垣 国道氏でした。
この「琵琶湖疎水プロジェクト」は、
京都だけでなく、滋賀と大阪も巻き込んだ一大事業なので、
その関わる人たちの賛同を得ることが出来た、
素晴らしい「北垣邦道のプレゼンテーション」が、
「琵琶湖疎水記念館」の1Fに掲示されています。
この一大事業は、平清盛以降400年間ずっと、
「京都に水を通したい!」その京都市民の悲願だったそうです。
その理由と、「疎水事業」が完成することが、
どれだけ京都の街が活性化するのかという事を、
なるほど!納得!というぐらい、具体的に書かれています。
今の金額で、数十億という金額の事業をするのに、
京都府の税金だけでは賄えないので、
市民からもさらに出資をしてもらい、
当時の市役職員、そして北垣邦道自身も、
自分の資産を相当な金額を出資して、
この事業に取り組んだそうです。
今の時代で、果たして市民と市の役員が
そこまでするでしょうか??
正直、出来ないのではないかと思います。
それぐらい、本当に今では考えられないぐらいの事に、
この明治時代に生きていた方は、
チャレンジし、色んな事を成し遂げられているんだという事を、
感じた時に、自分を含めた今の時代の人たちとの、
温度差をすごく感じることが多いです。
まだまだ、書きたいことはあるのですが、
ちょっと長くなったので、今日はこの辺で~^^
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。