『無』の世界『0=∞=1』~新技術nTechを活用したLife Styleの提案~

『無』の世界『0=∞=1』を、nTech(認識技術)を使って活用応用した生き方やnTech(認識技術)とは何かをわかりやすくご紹介します。

意味や理由が分からない日本語の表現

ご訪問ありがとうございます。

『無』を活用した宇宙一美しい奇跡の数式『0=∞=1』を認識技術として
活用応用した尊厳ある生き方や認識技術とは何かをわかりやすくご紹介するblogです。

 

先日仕事をしていて、先方に伝える日本語の表現について、
ふと思ったことを書こうと思います。

外国の方が、日本語を学ぼうとした時に、
他の言語を学ぶより難しいという声をよく聞きます。

その話を聞くまでの私は、日ごろ普通に日本語を使っているので、
他の言語より、日本語を学ぶことが難しいと思うことがありませんでした。

しかし、あたらめて考えてみた時に、
日本語は本当に難しいのだなと感じました。

 

①覚えることが通常の3倍ある

例えば、英語などはA~Zを覚えて、
そして、それらを使った単語を覚え、
文章を構成していくことで、会話が出来るようになります。

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韓国語も、英語とほぼ同じ感じですね。

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しかし、日本語の場合は、
ひらがな、カタカナ、漢字という文字を学び、
そして、この3つが構成された単語を覚え、
文章を構成していかないといけません。

私も漢字はいまだに苦手ですが、
海外の方にとっては、かなり厳しいようです。

②漢字の音読みと訓読みの違い

これは、この前発見したことですが、
明日(あした)明日(あす)は違う意味だと思っていた、
外国の方の話を聞いて、びっくりしました。

漢字では同じ表現ですが、
音で聞くと違う表現なので、
全く別の意味だと思っていたそうです。

確か、
「あす」「あさって」の意味だと思っていたとご本人が言ってました。

これにはさすがに驚きました。

だけど、本人曰く、
単語が違うから意味が違うと思ったと言っていたので、
確かにそう思うのも、無理はないなと思いました。

③曖昧な表現が多い

そして、ある時タイの女性に、
「雨の音の「シトシト」「パラパラ」の違いを教えて欲しい。
私には、何が違うのかさっぱり分からない。」

という質問をされたときに、
正直私も、違いは分かるけど、
それを彼女に分かるように伝えるには、
何と言って表現したらよいか困ったことがありました。

普段、何となく、
曖昧で、微妙な違いを感じて、
それを表現する日本人のこの独特な感覚
は、
日本人同士なら言わなくても察して通じる世界観ですが、
外国の人には難しいのかと、その時実感しました。

④立場によって表現が変わる

日本人の表現は
自分主体ではなく、
常に相手主体の表現だと感じることがありました。

それが当たり前の文化だと、
そんなことに気づくことも今までなかったのですが、
よくよく考えてみると、そう思うことがありました。

例えば、先日あった話で
「入金」という表現ですが、
企業側がお客様に対して「ご入金お願い致します。」
ついそのまま丁寧語にして表現してしまいそうですが、
この表現は、ダメですよね。

この場合、
「お振込みお願いいたします」
表現するのが○になります。

意味は一緒なのに、立場によって表現を変えないといけない
なんて、一体こんなめんどくさいことを誰が決めたんだ!と
その時一瞬思いました。

しかし、これが日本社会のルールだし、
そのルールに従わないと印象が悪くなるから、
なぜそのようにしないといけないのか

意味は分からないけど、やらなければならない
ということでやっていることは多いのではないかと思います。

その他、立場によって、
謙譲語や尊敬語なども入ってくるので、
私は国語が苦手なので、正直どのように使えばよいか、分からず、
丁寧語に更に丁寧に表現して、おかしなことになることもあります。

外国の方にはそこまでの要求はないと思いますが、
正しい日本語の表現を使うというのは、めちゃ難しいなと感じました。

果たして、まともに表現できている人が、
どれだけいるんだろう???と思います。

立場によって表現が変わることを思った時に、
私たち日本人は、無意識で常に、
基準が自分が無い「無我状態」が出発なんだと思いました。

だけど、本物の無我状態になれば、
とても楽だと思いますが、そう簡単にはいかないので、
心の内と表現のギャップに苦労する人は多いのではないだろうか?と
思った今日この頃でした。

「日本の文化は、いたるところに悟りの文化が溢れているね」
私の尊敬する人が、良くおっしゃいますが、
この表現もその中のひとつなのかなと思いました。

 

中身もちゃんと伴った
悟りの文化が溢れる日本
なればいいなと思う今日この頃でした。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。