常識破壊シリーズ 2 記録の革命①
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『無』を活用した宇宙一美しい奇跡の数式『0=∞=1』を認識技術として
活用応用した尊厳ある生き方や認識技術とは何かをわかりやすくご紹介するblogです。
今日も常識破壊の話を書きたいと思います。
今までの常識破壊の話は、こちら
kou-shinsekairoute.hatenablog.com
今は、当たり前のものでも、
歴史をたどると、その時代ではありえないぐらいの、
常識破壊をしているものがいっぱいあります!
このシリーズは、
そういうものをご紹介していきたいと思います(*'▽')!
今日は、ある陸上競技種目の革命を起こした人について、
書きたいと思います。
①高跳びの当初の飛び方
今や陸上競技の高跳びと言えば、
『背面跳び』で飛ぶのが常識のように、
誰もがこの跳躍スタイルで飛んでいます。
しかし、高跳びの競技が始まった当初は、
この跳躍スタイルではありませんでした。
当時は、
『ベリーロール』または
『はさみ跳び』が主流だったそうです。
②飛び方の歴史が変わったタイミング
『背面跳び』は、1968年のメキシコオリンピックの
世界的大会で、世界で最初に実施した選手、
その人が、ディック・フォスベリーさんです。
当時、このことを『フォズベリー・フロップ』といわれ、
走高跳の革命とまで呼ばれたそうです!
この跳躍スタイルが、その後一般化し
走高跳の記録向上に貢献することになりました。
③なぜ、新しい飛び方を開発したのか?
そのディック・フォスベリーさんは、
一体、どんな
『問題意識・危機・限界』と出会ったのでしょうか?
1960年代アメリカのオレゴン州にある高校の陸上部に、
ディック・フォスベリーさんは所属していました。
しかし、当時の彼は平均レベルの成績でした。
その当時は、『ベリーロール』
または『はさみ跳び』が主流でした。
そして、『ベリーロール』が最高の跳び方だと
考えられていました。
『ベリーロール』を覚えても、1m62cmという
平凡な記録しか出せない彼は、
『どうしたらこの問題・危機・限界を突破できるだろう?』
と悩みました。
そして、『はさみ跳び』を、
ある競技会で、ためし続けていました。
そして、バーがどんどん上がっていき、
それを乗り越えようと必死に跳びました!
そして。。。。。
新しい道が開ける発見がありました!!
これが、
常識破壊のきっかけを生む発見に繋がっていきます。
今日は、長くなったので、続きはまた明日書きます。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。