常識破壊シリーズ 2 記録の革命②
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『無』を活用した宇宙一美しい奇跡の数式『0=∞=1』を認識技術として
活用応用した尊厳ある生き方や認識技術とは何かをわかりやすくご紹介するblogです。
今は当たり前のものでも、
歴史をたどると、その時代ではありえないぐらいの、
常識破壊をしているものがいっぱいあります!
このシリーズは、
そういうものをご紹介していきたいと思います(*'▽')!
今日はもう当たり前になっている、
ある陸上競技種目の革命を起こした人について、
昨日の続きを書きたいと思います。
詳しくは、こちら
kou-shinsekairoute.hatenablog.com
①新しい道の発見の瞬間
平凡な記録しか出せない自分の限界を突破する、
新しい道が開ける発見がありました!
彼は、『はさみ跳び』を、
ある競技会で、ためし続けていました。
そして、バーがどんどん上がっていき、
それを乗り越えようと必死に跳びました!
必死で飛び越えようとするあまり、
身体がだんだん後ろ向きになっていくようになり。。。
これが、背面跳びの始まりでした。
そして、彼は、この飛び方が、
自分の超えられなかった限界を、
突破できる発見だと感じ、
それから、背面跳びの練習を続け、
記録がどんどん伸びていきました。
最初は偶然の産物だったかもしれないですが、
もし、ディック・フォスベリーさんが、
途中であきらめていたら、
今の世界陸上の記録も、大きく変わっていますよね。
②既存の常識の抵抗
しかし、やはりこれも、既存の常識が邪魔をして、
中々すぐには世の中に受け入れられません。
大学のコーチは、『背面跳び』ではなく
『ベリーロール』で跳ぶようにコーチされます。
なぜ記録が更新していくのに、
コーチが既存のものを指導するのかというと、
当時の人たちは『ベリーロール』が最高の跳び方で、
フォスベリーが『ベリーロール』をマスターしたら、
もっと素晴らしい選手になると信じていたからです。
しかし、彼はコーチの指示を無視して練習をつづけました。
そして、周囲の人も彼の事を奇異の目でみて、
『なんだあのフォームは』と笑ったり、
ある新聞では、
『世界で最も怠けている高跳選手』と書かれたり、
色んな人から変な眼でみられ、
記録を更新するにも関わらず、
世の中の人にすぐには受け入れられませんでした(涙)
③あきらめない心
しかし、彼は、そんな周囲の言う事は気にせず、
当時、誰もやったことがない
『背面跳び』の練習をし続けました。
その結果!
1968年のオリンピックで、
2m24cmという世界新記録を打ち立て、
金メダルを獲得しました(*´▽`*)♪
これが当時の映像です。
④常識が変わる時
そして、その後、価値が分かる人が徐々に増えていき、
ある時いっきにスタンダードになっていきます!
最初は『背面跳び』のフォームを笑っていた人も、
世界記録新記録を取る飛び方なので、だんだん練習するようになり、
4年後の1972年のオリンピックでは、
出場者40人中27人が『背面跳び』で競技に参加しました!
そして今や『背面跳び』は、
新しい時代の常識になっていきました(*'▽')!
≪参考文献≫
「ひらめきとイノベーションの授業: 未来のために僕たちが今やるべきこと」
本当に、常識を破壊したら、凄い変化がおきますが、
既存の常識にとらわれず、頑張った意志と、
結果をみて、受け容れた人たちがいたから、
今の時代が来たのだと思うと、凄いことだと感じます。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。